国のために孕まされる日

1. 妊娠義務通知

「今年も、来てしまった」

スマホの画面に表示された、見慣れた文字。それは、まるで時限爆弾のタイマーのように、私の心臓を鈍く締め付けた。

妊娠義務通知

毎年この季節になると、国民全員に一斉に送られる、国からの絶対命令。少子化対策という名の、この強制的な制度が始まってから、もう十年になる。最初は、震える手で通知を開いた。まるで、自分だけが選ばれてしまったかのような錯覚。義務だとわかっていても、いざ自分の番が来ると、現実感が薄れていく。

『国のため、我が国の未来のため、あなたは本日より一週間以内に、指定されたクリニックにて義務を遂行してください』

この簡潔なメールは、私という一人の人間から、感情や意志を奪い去る。私は、ただ子を産むための“母体”として、この社会に存在しているのだと、思い知らされる。

テーブルの上にスマホを置くと、ため息が部屋の空気に溶けていく。もう、何度目だろう。最初は、震える手で通知を開いた。義務とはいえ、いざ“自分の番”が来ると、現実感が薄れていく。国のため。この言葉を、もう何度自分に言い聞かせてきたかわからない。

2. クリニックの白い空間

指定された産婦人科クリニックの待合室は、今年も真っ白だった。

壁も、床も、椅子も、そしてそこに座る女性たちのガウンも、すべてが同じ白で統一されている。それはまるで、私たちの個性や感情を消し去るための儀式のようだ。誰も声を出さない。聞こえるのは、番号を呼ぶ機械的なアナウンスと、ガウンの擦れる微かな音だけ。

ここにいる誰もが、同じように不安そうな顔をしている。諦めた顔、何も考えないように目を伏せる人。みんな、私と同じだ。この、非人間的なシステムに組み込まれた、ただの駒。でも、誰もが口を閉ざしている。この場所では、感情を言葉にすることは許されない。

私の番号が呼ばれ、立ち上がる。足が少し震えている。ドアの奥には、いつもの担当医がいる。まだ三十代後半、穏やかで優しい声の男性だ。白衣のポケットに手を入れ、私のカルテをパラパラとめくる。彼は、私のこの一年間のデータをすべて把握している。健康状態、精神状態、そして、去年の“遂行”の日付まで。

「〇〇さん、よろしくお願いします」

彼の声は、いつもと変わらず優しい。毎年担当が変わる人もいるらしいけど、私はこの先生が三年連続だ。慣れているはずなのに、診察室の椅子に座った途端、手が汗ばんだ。

3. 自然交配という選択

「じゃあ、今日は人工授精と自然交配、どちらにしますか?」

この問いかけすら、もう形式的なもの。国は、国民の精神的負担を軽減するため、選択肢を与えているつもりなのだろう。しかし、私にとって、それは“どちらがより耐えられるか”という、残酷な二択に過ぎない。

人工授精は、痛みが少ない。でも、それはまるで、自分がおもちゃのように扱われているような気分になる。一方、自然交配は、肉体的な痛みは伴うけれど、ほんの少しだけ、人間らしい温かみを感じる瞬間がある。そして、妊娠率も高い。先生も「楽ですよ」と笑う。私は毎回、自然交配を選んでいた。

「自然交配で、お願いします」

ガウンを脱ぎ、ベッドの上に寝転ぶ。足を開くと、ひんやりとした空気が太ももを撫でる。その冷たさが、私の体を一気に現実へと引き戻した。

「はい、力抜いてくださいね」

先生の指先が内腿をなぞる。機械的なはずなのに、その一瞬だけ、自分が“女”として見られている気がして、心臓が跳ね上がる。彼の指が私の中を確かめるように、ゆっくりと入ってきた。あらかじめ濡れているかどうか確認される。

「うん、大丈夫そうですね」

先生のズボン越しに、かすかに隆起した膨らみが見えた。私の体が勝手に期待と羞恥で火照る。この、矛盾した感情は何だろう。嫌悪感と、ほんのわずかな快感。妊娠させられることへの抵抗と、人間として触れられていることへの安堵。私の心は、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。

4. 遂行

「じゃあ、始めますね」

先生が私の腰を両手で支える。白衣の端が、私の素肌にふれる。静かに、だけど確実に、先生のものが私の中に入ってくる。

「んっ……」

去年よりも、痛みは少ない。それでも、体が突き上げられるたびに、「妊娠させられている」という現実が、全身に広がっていく。先生は淡々と腰を動かす。でも、ときどき顔を上げて、私の目をじっと見る。

「気持ち悪くないですか?」

彼の瞳に、ほんのわずかな心配が見えた気がした。声を出す余裕がない。私は首を振ることしかできなかった。

ベッドの軋む音、先生の息遣い、そして、私の中でぐちゃぐちゃに混ざる音。それは、まるで、私という存在が壊されていく音のようだった。

「もう少しで出しますからね」

先生が一気に奥まで押し込む。熱いものが、奥深くで広がる。

「……っ」

子宮の中が、何かで満たされていく感覚。それが、私の体が、次の命を受け入れたという証拠。涙が、自然にこぼれた。それは、快感でも、悲しみでもない。ただ、自分の体が、自分の意志とは無関係に、義務を遂行したことへの、絶望の涙だった。

5. 義務の完了

「はい、終わりです。お疲れさまでした」

先生は私の体を優しく撫で、ガウンをかけ直してくれる。その手つきは、まるで壊れ物を扱うようだ。診察台を降りるとき、足が少し震えている。下腹部がじんじんと熱い。「これで、また一年、義務を果たせた」。そう思い込もうとした。

控室でぼんやりしていると、他の女性たちが同じように無言で部屋を出入りしている。みんな、“やられる側”の顔になっている。その顔は、無機質で、感情がなく、まるで人間ではなく、ただの道具のようだ。

数週間後、検査で「妊娠が確定しました」と告げられた。診察室の天井を見上げて、私は小さく息を吐いた。嬉しいのか悲しいのか、自分でもよくわからない。妊娠が日常になってから、体の変化にはもう慣れたはずなのに、夜になるとお腹をさすって、「本当にこれでいいの?」と考える。

出産は、思ったよりも早くやってきた。ベッドの上で陣痛に耐えながら、看護師と先生の声を聞いていた。痛みと快感が、波のように交互に押し寄せてくる。それは、まるで、妊娠という名の、長く続く拷問のようだった。

「はい、もうすぐですよ、がんばって」

赤ちゃんの頭が下腹を突き破る感覚。

「――ああっ!」

最後は、声が漏れてしまった。分娩台の上で全身の力が抜けたとき、自分の体から赤ん坊の産声が響いた。先生が赤ちゃんを抱き上げて、「おめでとうございます」と言った。私は泣きながら、「ありがとう」と答えた。

「これで、国の役に立てたんですよ」

先生の声は、慰めというよりも、“義務完了”の報告のようだった。分娩室の天井をぼんやりと見つめながら、私は、「来年もまた、このベッドで産むんだろうな」と考えていた。

もう、慣れるしかない。来年も、その次の年も──私はきっと、国のために、孕まされ続けるのだ。それは、私にとって、終わりのない、義務という名の牢獄だった。

国のために孕まされる日